Ago and New
ルビ付きテキスト

第4話 文章の音律・泉鏡花(旧字旧仮名)


伏字ふせじ漢字かんじ

いちからろく小1しょういちから小6しょうろくなな中学ちゅうがくおぼえる常用じょうよう漢字かんじです。
小1,❶: 七 , 出 , 文 , 音
小2,❷: 聞 , 言
小3,❸: 章
小4,❹: 無 , 然
小6,❻: 律

学習がくしゅうコンテンツ 

仮名がな漢字『かんじ』(『かんじ』)のよう括弧かっこいた漢字かんじ原書げんしょ仮名がないている漢字かんじです。


作品さくひんめい文章ぶんしょう音律おんりつ
著者ちょしゃめいいずみ鏡花きょうか

 近來ちかごろ小説しょうせつ❶❸ぶんしょうは、餘程よほど蕪雜ぶさつになつたやうにかんがへられる、思想しそう大切たいせつであるのはふまでもいが、粗笨そほん❶❸ぶんしょうでは思想しそうんなに立派りっぱでも、讀者どくしゃつうじはしまい、かんじはしまいとおもふ。就中なかんずく近頃ちかごろ小説しょうせつ❶❸ぶんしょうに、❶❻おんりつといふことが『ゆるがせ』にされてる、うして『ゆるが』どころではない、あたまから❶❸ぶんしょう❶❻おんりつなどは注意ちゅういもしてないやうにおもふ。❶❸ぶんしょう❶❻おんりつふのは、なに五❶調ごしちちょうとか❶語調しちごちょうとか、馬琴ばきんりゅう❶❸ぶんしょう淨瑠璃じょうるり❶❸ぶんしょうのやうなのをいふのではい。いま❶❸ぶんしょうにのみうったへて、みみかす❶❸ぶんしょうでない、みみかすなどいふことかんがへてもまいかとおもふ。此間こないだある新❷社しんぶんしゃひとはなしたが、❷❶げんぶん一致いっちたい語尾ごびの「だ」と「である」とのことで、は「だ」といふとつよあたぎるとおもふ。❶❸ぶんしょうであるから、對話たいわとはちがふからいが「だ」では、 讀者どくしゃ失禮しつれいなやうな心地ここちがする。「である」ばかりを、使つかへもせぬが、ほう『い』い、なにもさう窮屈きゅうくつかんがへずとも、「なり」でも「けり」でも使つかつて『よ』い、ぶん前後ぜんご不調和ふちょうわにならなければいとおもつてる。往々おうおう❷❶げんぶん一致いっち❶❸ぶんしょうでは、莊嚴そうごんとか崇重『そうちよう』とかいふおもむきないやうにひとがあるが『あなが』ちさうではないとおもふ、たとへてれば、れいの「……皇國わがくに興廢こうはいこの一戰いっせんにあり」といふぶんを、❷❶げんぶん一致いっち解釋かいしゃくして、「この一戰いっせんにありだ」といへば❷❶げんぶん一致いっちたい、「あり」では❷❶げんぶん一致いっちでないとふのはうであるか、「……この一戰いっせんにありだ」の「だ」をはぶいたとてもいではあるまいか、すべ此處等ここいら自由じゆうきたい。
 まえひし❶❸ぶんしょう❶❻おんりつとは、いま小説しょうせつでは、じゅうしちはちむすめだとぶんいてあるから、その會話かいわ十❶じゅうしちはちだとおもつてるが、れはせる❶❸ぶんしょうで、十❶八じゅうしちはちむすめともなにともことわがきをしなくとも、んで十❶八じゅうしちはちむすめだときこえなければいけない。『ふさ』いで會話かいわむのをくと、じゅうしちはちむすめ六十ろくじゅう幾歳いくとせ老婆ろうばわからぬなどは心細こころぼそい。あたりさはりがあるかられいさぬが、ひどいのは、くちしてんでると、おとこおんなわからぬのさへある。❶❸ぶんしょうるべきものでなく、むべきものだとおもふ。くちしてわからぬやうなのはい。會話かいわのみをふのではい、たとへば「あめる」とつても、あめおときこえなければならぬ。❶❸ぶんしょうでいかにもあめつてるなとかんじさせねばならぬ。「あめる」といふ❶❸ぶんしょうて、かんいのはうったへるので、いてあるから、あめつてるのだなどはよろしくい。ツマリ、みみかす注意ちゅういがないからである。「ユツタリと……」とか「悠❹ゆうぜんとして……」とかいても、そのぶん❶❻おんりつ沒却ぼつきゃくされてては、んでると悠❹ゆうぜんでもなんでもない、❶字もじには悠❹ゆうぜんとしてなんとかいてあるにかかわらず、その悠❹ゆうぜんかけつこしてるなどがある。
 ❶❻おんりつといふことは、❶❸ぶんしょういち機能きのうである。❶❸ぶんしょう❶❻おんりつぼつきゃくしてはいやしく❶❸ぶんしょうとはへない。さうでせう。「いづれのおんときにかありけん」と源氏げんじ書❶かきだしであるが「何時いつだつたかね」とつては、源氏げんじなにもあつたものやない。曉臺きょうたい
    まくりおどりくづしてとおりけり
 といふのがある。この❶❻おんりつがあるから、んで――ただけではない、如何いかにもうでまくりしたおとこが、盆踊ぼんおどりなにかのおどり一團いちだんくずして、悠々ゆうゆうとしてとおるのがあらわれてる。「まくりしておどりくずしてとおつた」ではそのおもむきない。白雄『しらを』にも
    夕月ゆうづきやなぎがくれにさかなわかつ
 といふのでも「夕月ゆうづきやなぎのかげでさかなけてる」では矢張やはりおもむきないとつたやうなわけである。
 それで❶❻おんりつゆるがせにして、にのみせようとするのは、❶❸ぶんしょうではないとおもふ。女房にょうぼう借金しゃっきんとり仕樣しようがないといふと、亭主ていしゅ借金取しゃっきんとりても、泰❹自若たいぜんじじゃくたりだといふと假定かていする。ところで、この女房にょうぼう一丁字いっていじいもので、泰❹たいぜん自若じじゃく意味いみわからなくても、その❷葉ことば如何どうにも泰❹自若たいぜんじじゃくたるところあらわれてなければいけない。これ❶❻おんりつゆるがせにすべからざるてんだとおもふ。❹學むがくものでも、❶❸ぶんしょういてそのおもむきつかまへることの❶來できるやうにくのが、ぶんである。れはひとつにまた❶❻おんりつ如何いかるのであるとおもふ。

     明治めいじ四十よんじゅうねんがつ

コンテンツこんてんつ 


作品さくひんめい文章ぶんしょう音律おんりつ
著者ちょしゃめいいずみ鏡花きょうか

 近來ちかごろ小説しょうせつ文章ぶんしょうは、餘程よほど蕪雜ぶさつになつたやうにかんがへられる、思想しそう大切たいせつであるのはふまでもいが、粗笨そほん文章ぶんしょうでは思想しそうんなに立派りっぱでも、讀者どくしゃつうじはしまい、かんじはしまいとおもふ。就中なかんずく近頃ちかごろ小説しょうせつ文章ぶんしょうに、音律おんりつといふことが『ゆるがせ』にされてる、うして『ゆるが』どころではない、あたまから文章ぶんしょう音律おんりつなどは注意ちゅういもしてないやうにおもふ。文章ぶんしょう音律おんりつふのは、なに五七調ごしちちょうとか七語調しちごちょうとか、馬琴ばきんりゅう文章ぶんしょう淨瑠璃じょうるり文章ぶんしょうのやうなのをいふのではい。いま文章ぶんしょうにのみうったへて、みみかす文章ぶんしょうでない、みみかすなどいふことかんがへてもまいかとおもふ。此間こないだある新聞社しんぶんしゃひとはなしたが、言文げんぶん一致いっちたい語尾ごびの「だ」と「である」とのことで、は「だ」といふとつよあたぎるとおもふ。文章ぶんしょうであるから、對話たいわとはちがふからいが「だ」では、 讀者どくしゃ失禮しつれいなやうな心地ここちがする。「である」ばかりを、使つかへもせぬが、ほう『い』い、なにもさう窮屈きゅうくつかんがへずとも、「なり」でも「けり」でも使つかつて『よ』い、ぶん前後ぜんご不調和ふちょうわにならなければいとおもつてる。往々おうおう言文げんぶん一致いっち文章ぶんしょうでは、莊嚴そうごんとか崇重『そうちよう』とかいふおもむきないやうにひとがあるが『あなが』ちさうではないとおもふ、たとへてれば、れいの「……皇國わがくに興廢こうはいこの一戰いっせんにあり」といふぶんを、言文げんぶん一致いっち解釋かいしゃくして、「この一戰いっせんにありだ」といへば言文げんぶん一致いっちたい、「あり」では言文げんぶん一致いっちでないとふのはうであるか、「……この一戰いっせんにありだ」の「だ」をはぶいたとてもいではあるまいか、すべ此處等ここいら自由じゆうきたい。
 まえひし文章ぶんしょう音律おんりつとは、いま小説しょうせつでは、じゅうしちはちむすめだとぶんいてあるから、その會話かいわ十七じゅうしちはちだとおもつてるが、れはせる文章ぶんしょうで、十七八じゅうしちはちむすめともなにともことわがきをしなくとも、んで十七八じゅうしちはちむすめだときこえなければいけない。『ふさ』いで會話かいわむのをくと、じゅうしちはちむすめ六十ろくじゅう幾歳いくとせ老婆ろうばわからぬなどは心細こころぼそい。あたりさはりがあるかられいさぬが、ひどいのは、くちしてんでると、おとこおんなわからぬのさへある。文章ぶんしょうるべきものでなく、むべきものだとおもふ。くちしてわからぬやうなのはい。會話かいわのみをふのではい、たとへば「あめる」とつても、あめおときこえなければならぬ。文章ぶんしょうでいかにもあめつてるなとかんじさせねばならぬ。「あめる」といふ文章ぶんしょうて、かんいのはうったへるので、いてあるから、あめつてるのだなどはよろしくい。ツマリつまりみみかす注意ちゅういがないからである。「ユツタリゆつたりと……」とか「悠然ゆうぜんとして……」とかいても、そのぶん音律おんりつ沒却ぼつきゃくされてては、んでると悠然ゆうぜんでもなんでもない、文字もじには悠然ゆうぜんとしてなんとかいてあるにかかわらず、その悠然ゆうぜんかけつこしてるなどがある。
 音律おんりつといふことは、文章ぶんしょういち機能きのうである。文章ぶんしょう音律おんりつぼつきゃくしてはいやしく文章ぶんしょうとはへない。さうでせう。「いづれのおんときにかありけん」と源氏げんじ書出かきだしであるが「何時いつだつたかね」とつては、源氏げんじなにもあつたものやない。曉臺きょうたい
    まくりおどりくづしてとおりけり
 といふのがある。この音律おんりつがあるから、んで――ただけではない、如何いかにもうでまくりしたおとこが、盆踊ぼんおどりなにかのおどり一團いちだんくずして、悠々ゆうゆうとしてとおるのがあらわれてる。「まくりしておどりくずしてとおつた」ではそのおもむきない。白雄『しらを』にも
    夕月ゆうづきやなぎがくれにさかなわかつ
 といふのでも「夕月ゆうづきやなぎのかげでさかなけてる」では矢張やはりおもむきないとつたやうなわけである。
 それで音律おんりつゆるがせにして、にのみせようとするのは、文章ぶんしょうではないとおもふ。女房にょうぼう借金しゃっきんとり仕樣しようがないといふと、亭主ていしゅ借金取しゃっきんとりても、泰然自若たいぜんじじゃくたりだといふと假定かていする。ところで、この女房にょうぼう一丁字いっていじいもので、泰然たいぜん自若じじゃく意味いみわからなくても、その言葉ことば如何どうにも泰然自若たいぜんじじゃくたるところあらわれてなければいけない。これ音律おんりつゆるがせにすべからざるてんだとおもふ。無學むがくものでも、文章ぶんしょういてそのおもむきつかまへることの出來できるやうにくのが、ぶんである。れはひとつにまた音律おんりつ如何いかるのであるとおもふ。

     明治めいじ四十よんじゅうねんがつ

■ 原書情報(青空文庫) 図書カード:No.55401(旧字旧仮名) https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/card55401.html https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/55401_50158.html 底本:「鏡花全集 卷二十八」岩波書店    1942(昭和17)年11月30日第1刷発行    1976(昭和51)年2月2日第2刷発行 初出:「明治評論 第十二巻第五号」明治評論社    1909(明治42)年5月1日 ※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。 ※初出情報は「新編 泉鏡花集 別巻二」(岩波書店、2006年1月20日)によるものです。 入力:石波峻一 校正:門田裕志
■ 漢字の説明( Explanation of kanji ) 

シチ・▲シツ・ななななつ・なの
sevenせぶん

シュツ・㊥スイ・る・す・▲いだす・▲
putぷっと outあうと

ブン・モン・㊥ふみ・▲あや・▲かざ
writingsらいてぃんぐすsentenceせんてんすtextてきすと

オン・㊥イン・おと・▲たよ
soundさうんど

ブン・㋙モン・く・こえる
hearひあ

ゲン・ゴン・う・こと・▲ことば
tellてるtalkとーく

ショウ・▲あや・▲しるし・▲ふみ
chapterちゃぷたー

ム・ブ・
nothingなっしんぐ

ゼン・ネン・▲しかり・▲しかし・▲しかも・▲える
naturallyなちゅらりー

リツ・㋙リチ・▲のり・▲のっと
rulesるーるず
(付記,Note)
※ 最初の行は音訓読みを記載しています。カタカナは音読み、ひらがなルビは訓読みです。
※ ▲は常用外の読み方です。㊥は中学・㋙は高校で習う読み方です。漢検・漢字辞典の記載に準拠しています。
※ ▲ is a non-regular reading. ㊥ is the reading learned in junior high school and ㋙ is the reading learned in high school.
■ 漢字のリンク集/書き順&意味 , stroke order:Mojinavi , Another languages:Google , Bing
1小1 ❶MojnaviGoogleBing
2小1 ❶MojnaviGoogleBing
3小1 ❶MojnaviGoogleBing
4小1 ❶MojnaviGoogleBing
5小2 ❷MojnaviGoogleBing
6小2 ❷MojnaviGoogleBing
7小3 ❸MojnaviGoogleBing
8小4 ❹MojnaviGoogleBing
9小4 ❹MojnaviGoogleBing
10小6 ❻MojnaviGoogleBing
★★★ 各小説投稿サイトへのリンク集(各投稿サイトでも公開しています) ★★★
Q:青空文庫って、何ですか?
A:1997年に始まったボランティア活動で、誰にでもアクセスできる自由な電子本を、共有可能なものとして図書館のようにインターネット上に集めようとしております。現在は、日本国内で著作権保護期間の満了した作品を中心に、ボランティアのみなさんの力によって電子化作業を進めています。青空文庫はそういった電子化活動のための、またその成果物をアーカイヴしておくための場でもあり、そこからコピーされた本の集成や活用事例もまた〈青空文庫〉と呼ばれることがあります。
Q: What is Aozora Bunko?
A: The volunteer activities, which began in 1997, the free e-book that can be accessed by anyone in, we are going to gather on the Internet like a library as a thing that can be shared. Currently, we are proceeding with digitization work with the help of volunteers, focusing on works whose copyright protection period has expired in Japan. Aozora Bunko is a place for such digitization activities and for archiving the deliverables, and the collection and use cases of books copied from it are also sometimes called “Aozora Bunko”.
© 2020 agoandnew All rights reserved.