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第4話 文章の音律・泉鏡花(旧字旧仮名)


■ 伏字ふせじ漢字かんじ

※ ❶いち~から❻ろくは小1しょういち~から小6しょうろく、❼ななは中学ちゅうがくで覚おぼえる常用じょうよう漢字かんじです。
小1,❶: 七 , 出 , 文 , 音
小2,❷: 聞 , 言
小3,❸: 章
小4,❹: 無 , 然
小6,❻: 律

■ 学習がくしゅうコンテンツ  

※ 読よみ仮名がなで漢字『かんじ』(『かんじ』)の様ように括弧かっこの付ついた漢字かんじは原書げんしょで読よみ仮名がなが付ついている漢字かんじです。


作品さくひん名めい:文章ぶんしょうの音律おんりつ
著者ちょしゃ名めい:泉いずみ鏡花きょうか

 近來ちかごろの小説しょうせつの❶❸ぶんしょうは、餘程よほど蕪雜ぶさつになつたやうに考かんがへられる、思想しそうが大切たいせつであるのは❷いふまでも❹ないが、粗笨そほんな❶❸ぶんしょうでは思想しそうが何どんなに立派りっぱでも、讀者どくしゃに通つうじはしまい、感かんじはしまいと思おもふ。就中なかんずく近頃ちかごろの小説しょうせつの❶❸ぶんしょうに、❶❻おんりつといふことが忽『ゆるがせ』にされて居いる、何どうして忽『ゆるが』せ處どころではない、頭あたまから❶❸ぶんしょうの❶❻おんりつなどは注意ちゅういもしてゐいないやうに思おもふ。予よが❶❸ぶんしょうの❶❻おんりつと云いふのは、何なにも五❶調ごしちちょうとか❶語調しちごちょうとか、馬琴ばきん流りゅうの❶❸ぶんしょうや淨瑠璃じょうるりの❶❸ぶんしょうのやうなのをいふのでは❹ない。予よは今いまの❶❸ぶんしょうが眼めにのみ訴うったへて、耳みみに❷きかす❶❸ぶんしょうでない、耳みみに❷きかすなどいふ事ことを考かんがへてもゐいまいかと思おもふ。此間こないだも或ある新❷社しんぶんしゃの人ひとに話はなしたが、❷❶げんぶん一致いっち體たいの語尾ごびの「だ」と「である」との事ことで、予よは「だ」といふと強つよく當あたり過すぎると思おもふ。❶❸ぶんしょうであるから、對話たいわとは違ちがふから好よいが「だ」では、 讀者どくしゃに失禮しつれいなやうな心地ここちがする。「である」ばかりを、使つかへもせぬが、此この方ほうが好『い』い、予よは何なにもさう窮屈きゅうくつに考かんがへずとも、「なり」でも「けり」でも使つかつて可『よ』い、❶ぶんの前後ぜんごで不調和ふちょうわにならなければ可よいと思おもつて居いる。往々おうおう❷❶げんぶん一致いっちの❶❸ぶんしょうでは、莊嚴そうごんとか崇重『そうちよう』とかいふ趣おもむきが❶でないやうに❷いふ人ひとがあるが予よは強『あなが』ちさうではないと思おもふ、例たとへて見みれば、例れいの「……皇國わがくにの興廢こうはい此この一戰いっせんにあり」といふ❶ぶんを、❷❶げんぶん一致いっちに解釋かいしゃくして、「此この一戰いっせんにありだ」といへば❷❶げんぶん一致いっち體たい、「あり」では❷❶げんぶん一致いっちでないと❷いふのは何どうであるか、「……此この一戰いっせんにありだ」の「だ」を省はぶいたと見みても可よいではあるまいか、總すべて此處等ここいらは自由じゆうに行いきたい。
 前まえに❷いひし❶❸ぶんしょうの❶❻おんりつとは、今いまの小説しょうせつでは、十じゅう❶しち八はちの娘むすめだと地じの❶ぶんに書かいてあるから、其その會話かいわが十❶じゅうしち八はちだと思おもつて見みるが、此これは眼めに見みせる❶❸ぶんしょうで、十❶八じゅうしちはちの娘むすめとも何なにとも斷ことわり書がきをしなくとも、讀よんで十❶八じゅうしちはちの娘むすめだと❷きこえなければいけない。眼めを閉『ふさ』いで會話かいわを讀よむのを❷きくと、十じゅう❶しち八はちの娘むすめか六十ろくじゅう幾歳いくとせの老婆ろうばか分わからぬなどは心細こころぼそい。當あたりさはりがあるから例れいは❶ださぬが、ひどいのは、口くちに❶だして讀よんで見みると、男おとこか女おんなか分わからぬのさへある。予よは❶❸ぶんしょうは見みるべきものでなく、讀よむべきものだと思おもふ。口くちに❶だして分わからぬやうなのは好よく❹ない。會話かいわのみを云いふのでは❹ない、例たとへば「雨あめが降ふる」と云いつても、雨あめの❶おとが❷きこえなければならぬ。❶❸ぶんしょうでいかにも雨あめが降ふつてるなと感かんじさせねばならぬ。「雨あめが降ふる」といふ❶❸ぶんしょうを見みて、其その感かんの❹ないのは眼めに訴うったへるので、書かいてあるから、雨あめが降ふつてるのだなどは宜よろしく❹ない。ツマリ、耳みみに❷きかす注意ちゅういがないからである。「ユツタリと……」とか「悠❹ゆうぜんとして……」とか書かいても、其その❶ぶんの❶❻おんりつが沒却ぼつきゃくされてゐいては、讀よんで見みると悠❹ゆうぜんでも何なんでもない、❶字もじには悠❹ゆうぜんとして何なんとか書かいてあるに拘かかわらず、其その悠❹ゆうぜんが駈かけつこしてるなどがある。
 ❶❻おんりつといふ事ことは、❶❸ぶんしょうの一いち機能きのうである。❶❸ぶんしょうに❶❻おんりつを沒ぼつ却きゃくしては苟いやしくも❶❸ぶんしょうとは云いへない。さうでせう。「いづれのおんときにかありけん」と源氏げんじの書❶かきだしであるが「何時いつだつたかね」と云いつては、源氏げんじも何なにもあつたものぢじやない。曉臺きょうたいの句くに
    まくり手てに踊おどりくづして通とおりけり
 といふのがある。此この句くに❶❻おんりつがあるから、讀よんで――見みただけではない、如何いかにも腕うでまくりした男おとこが、盆踊ぼんおどりか何なにかの踊おどりの一團いちだんを崩くずして、悠々ゆうゆうとして通とおるのが表あらわれてゐいる。「まくり手てして踊おどりを崩くずして通とおつた」では其その趣おもむきが❶でない。白雄『しらを』の句くにも
    夕月ゆうづきや柳やなぎがくれに魚さかなわかつ
 といふのでも「夕月ゆうづきに柳やなぎのかげで魚さかなを分わけてる」では矢張やはり趣おもむきが❶でないと云いつたやうな譯わけである。
 それで❶❻おんりつを忽ゆるがせにして、眼めにのみ見みせようとするのは、❶❸ぶんしょうではないと思おもふ。女房にょうぼうが借金しゃっきん取とりが來きて仕樣しようがないといふと、亭主ていしゅが借金取しゃっきんとりが來きても、泰❹自若たいぜんじじゃくたりだといふと假定かていする。處ところで、此この女房にょうぼうが眼めに一丁字いっていじの❹ないもので、泰❹たいぜん自若じじゃくの意味いみが分わからなくても、其その❷葉ことばで如何どうにも泰❹自若たいぜんじじゃくたる處ところが表あらわれてゐいなければいけない。是これが❶❻おんりつを忽ゆるがせにすべからざる點てんだと思おもふ。❹學むがくの者ものでも、❶❸ぶんしょうを❷きいて其その趣おもむきを捉つかまへることの❶來できるやうに書かくのが、❶ぶんである。其それは一ひとつにまた❶❻おんりつの如何いかに依よるのであると思おもふ。

     明治めいじ四十よんじゅう二に年ねん五ご月がつ

■ コンテンツこんてんつ  


作品さくひん名めい:文章ぶんしょうの音律おんりつ
著者ちょしゃ名めい:泉いずみ鏡花きょうか

 近來ちかごろの小説しょうせつの文章ぶんしょうは、餘程よほど蕪雜ぶさつになつたやうに考かんがへられる、思想しそうが大切たいせつであるのは言いふまでも無ないが、粗笨そほんな文章ぶんしょうでは思想しそうが何どんなに立派りっぱでも、讀者どくしゃに通つうじはしまい、感かんじはしまいと思おもふ。就中なかんずく近頃ちかごろの小説しょうせつの文章ぶんしょうに、音律おんりつといふことが忽『ゆるがせ』にされて居いる、何どうして忽『ゆるが』せ處どころではない、頭あたまから文章ぶんしょうの音律おんりつなどは注意ちゅういもしてゐいないやうに思おもふ。予よが文章ぶんしょうの音律おんりつと云いふのは、何なにも五七調ごしちちょうとか七語調しちごちょうとか、馬琴ばきん流りゅうの文章ぶんしょうや淨瑠璃じょうるりの文章ぶんしょうのやうなのをいふのでは無ない。予よは今いまの文章ぶんしょうが眼めにのみ訴うったへて、耳みみに聞きかす文章ぶんしょうでない、耳みみに聞きかすなどいふ事ことを考かんがへてもゐいまいかと思おもふ。此間こないだも或ある新聞社しんぶんしゃの人ひとに話はなしたが、言文げんぶん一致いっち體たいの語尾ごびの「だ」と「である」との事ことで、予よは「だ」といふと強つよく當あたり過すぎると思おもふ。文章ぶんしょうであるから、對話たいわとは違ちがふから好よいが「だ」では、 讀者どくしゃに失禮しつれいなやうな心地ここちがする。「である」ばかりを、使つかへもせぬが、此この方ほうが好『い』い、予よは何なにもさう窮屈きゅうくつに考かんがへずとも、「なり」でも「けり」でも使つかつて可『よ』い、文ぶんの前後ぜんごで不調和ふちょうわにならなければ可よいと思おもつて居いる。往々おうおう言文げんぶん一致いっちの文章ぶんしょうでは、莊嚴そうごんとか崇重『そうちよう』とかいふ趣おもむきが出でないやうに言いふ人ひとがあるが予よは強『あなが』ちさうではないと思おもふ、例たとへて見みれば、例れいの「……皇國わがくにの興廢こうはい此この一戰いっせんにあり」といふ文ぶんを、言文げんぶん一致いっちに解釋かいしゃくして、「此この一戰いっせんにありだ」といへば言文げんぶん一致いっち體たい、「あり」では言文げんぶん一致いっちでないと言いふのは何どうであるか、「……此この一戰いっせんにありだ」の「だ」を省はぶいたと見みても可よいではあるまいか、總すべて此處等ここいらは自由じゆうに行いきたい。
 前まえに言いひし文章ぶんしょうの音律おんりつとは、今いまの小説しょうせつでは、十じゅう七しち八はちの娘むすめだと地じの文ぶんに書かいてあるから、其その會話かいわが十七じゅうしち八はちだと思おもつて見みるが、此これは眼めに見みせる文章ぶんしょうで、十七八じゅうしちはちの娘むすめとも何なにとも斷ことわり書がきをしなくとも、讀よんで十七八じゅうしちはちの娘むすめだと聞きこえなければいけない。眼めを閉『ふさ』いで會話かいわを讀よむのを聞きくと、十じゅう七しち八はちの娘むすめか六十ろくじゅう幾歳いくとせの老婆ろうばか分わからぬなどは心細こころぼそい。當あたりさはりがあるから例れいは出ださぬが、ひどいのは、口くちに出だして讀よんで見みると、男おとこか女おんなか分わからぬのさへある。予よは文章ぶんしょうは見みるべきものでなく、讀よむべきものだと思おもふ。口くちに出だして分わからぬやうなのは好よく無ない。會話かいわのみを云いふのでは無ない、例たとへば「雨あめが降ふる」と云いつても、雨あめの音おとが聞きこえなければならぬ。文章ぶんしょうでいかにも雨あめが降ふつてるなと感かんじさせねばならぬ。「雨あめが降ふる」といふ文章ぶんしょうを見みて、其その感かんの無ないのは眼めに訴うったへるので、書かいてあるから、雨あめが降ふつてるのだなどは宜よろしく無ない。ツマリつまり、耳みみに聞きかす注意ちゅういがないからである。「ユツタリゆつたりと……」とか「悠然ゆうぜんとして……」とか書かいても、其その文ぶんの音律おんりつが沒却ぼつきゃくされてゐいては、讀よんで見みると悠然ゆうぜんでも何なんでもない、文字もじには悠然ゆうぜんとして何なんとか書かいてあるに拘かかわらず、其その悠然ゆうぜんが駈かけつこしてるなどがある。
 音律おんりつといふ事ことは、文章ぶんしょうの一いち機能きのうである。文章ぶんしょうに音律おんりつを沒ぼつ却きゃくしては苟いやしくも文章ぶんしょうとは云いへない。さうでせう。「いづれのおんときにかありけん」と源氏げんじの書出かきだしであるが「何時いつだつたかね」と云いつては、源氏げんじも何なにもあつたものぢじやない。曉臺きょうたいの句くに
    まくり手てに踊おどりくづして通とおりけり
 といふのがある。此この句くに音律おんりつがあるから、讀よんで――見みただけではない、如何いかにも腕うでまくりした男おとこが、盆踊ぼんおどりか何なにかの踊おどりの一團いちだんを崩くずして、悠々ゆうゆうとして通とおるのが表あらわれてゐいる。「まくり手てして踊おどりを崩くずして通とおつた」では其その趣おもむきが出でない。白雄『しらを』の句くにも
    夕月ゆうづきや柳やなぎがくれに魚さかなわかつ
 といふのでも「夕月ゆうづきに柳やなぎのかげで魚さかなを分わけてる」では矢張やはり趣おもむきが出でないと云いつたやうな譯わけである。
 それで音律おんりつを忽ゆるがせにして、眼めにのみ見みせようとするのは、文章ぶんしょうではないと思おもふ。女房にょうぼうが借金しゃっきん取とりが來きて仕樣しようがないといふと、亭主ていしゅが借金取しゃっきんとりが來きても、泰然自若たいぜんじじゃくたりだといふと假定かていする。處ところで、此この女房にょうぼうが眼めに一丁字いっていじの無ないもので、泰然たいぜん自若じじゃくの意味いみが分わからなくても、其その言葉ことばで如何どうにも泰然自若たいぜんじじゃくたる處ところが表あらわれてゐいなければいけない。是これが音律おんりつを忽ゆるがせにすべからざる點てんだと思おもふ。無學むがくの者ものでも、文章ぶんしょうを聞きいて其その趣おもむきを捉つかまへることの出來できるやうに書かくのが、文ぶんである。其それは一ひとつにまた音律おんりつの如何いかに依よるのであると思おもふ。

     明治めいじ四十よんじゅう二に年ねん五ご月がつ

■ 原書情報(青空文庫) 図書カード:No.55401(旧字旧仮名) https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/card55401.html https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/55401_50158.html 底本:「鏡花全集 卷二十八」岩波書店    1942(昭和17)年11月30日第1刷発行    1976(昭和51)年2月2日第2刷発行 初出:「明治評論 第十二巻第五号」明治評論社    1909(明治42)年5月1日 ※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。 ※初出情報は「新編 泉鏡花集 別巻二」(岩波書店、2006年1月20日)によるものです。 入力:石波峻一 校正:門田裕志
■ 漢字の説明( Explanation of kanji )  
❶
七
シチ・▲シツ・七なな・七ななつ・七なの
sevenせぶん
❶
出
シュツ・㊥スイ・出でる・出だす・▲出いだす・▲出いづ
putぷっと outあうと
❶
文
ブン・モン・㊥文ふみ・▲文あや・▲文かざる
writingsらいてぃんぐす ,sentenceせんてんす ,textてきすと
❶
音
オン・㊥イン・音おと・音ね・▲音たより
soundさうんど
❷
聞
ブン・㋙モン・聞きく・聞きこえる
hearひあ
❷
言
ゲン・ゴン・言いう・言こと・▲言ことば
tellてる ,talkとーく
❸
章
ショウ・▲章あや・▲章しるし・▲章ふみ
chapterちゃぷたー
❹
無
ム・ブ・無ない
nothingなっしんぐ
❹
然
ゼン・ネン・▲然しかり・▲然しかし・▲然しかも・▲然もえる
naturallyなちゅらりー
❻
律
リツ・㋙リチ・▲律のり・▲律のっとる
rulesるーるず
(付記,Note)
※ 最初の行は音訓読みを記載しています。カタカナは音読み、ひらがなルビは訓読みです。
※ ▲は常用外の読み方です。㊥は中学・㋙は高校で習う読み方です。漢検・漢字辞典の記載に準拠しています。
※ ▲ is a non-regular reading. ㊥ is the reading learned in junior high school and ㋙ is the reading learned in high school.
■ 漢字のリンク集/書き順&意味 , stroke order:Mojinavi , Another languages:Google , Bing
1小1 ❶七MojnaviGoogleBing
2小1 ❶出MojnaviGoogleBing
3小1 ❶文MojnaviGoogleBing
4小1 ❶音MojnaviGoogleBing
5小2 ❷聞MojnaviGoogleBing
6小2 ❷言MojnaviGoogleBing
7小3 ❸章MojnaviGoogleBing
8小4 ❹無MojnaviGoogleBing
9小4 ❹然MojnaviGoogleBing
10小6 ❻律MojnaviGoogleBing
★★★ 各小説投稿サイトへのリンク集(各投稿サイトでも公開しています) ★★★
Q:青空文庫って、何ですか?
A:1997年に始まったボランティア活動で、誰にでもアクセスできる自由な電子本を、共有可能なものとして図書館のようにインターネット上に集めようとしております。現在は、日本国内で著作権保護期間の満了した作品を中心に、ボランティアのみなさんの力によって電子化作業を進めています。青空文庫はそういった電子化活動のための、またその成果物をアーカイヴしておくための場でもあり、そこからコピーされた本の集成や活用事例もまた〈青空文庫〉と呼ばれることがあります。
Q: What is Aozora Bunko?
A: The volunteer activities, which began in 1997, the free e-book that can be accessed by anyone in, we are going to gather on the Internet like a library as a thing that can be shared. Currently, we are proceeding with digitization work with the help of volunteers, focusing on works whose copyright protection period has expired in Japan. Aozora Bunko is a place for such digitization activities and for archiving the deliverables, and the collection and use cases of books copied from it are also sometimes called “Aozora Bunko”.
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