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ルビ付きテキスト

第89話 小島の春・光田健輔(新字新仮名)


■ 伏字ふせじ漢字かんじ

※ ❶いち~から❻ろくは小1しょういち~から小6しょうろく、❼ななは中学ちゅうがくで覚おぼえる常用じょうよう漢字かんじです。
小3,❸: 医 , 病 , 院
小5,❺: 救
中学,❼: 勧 , 嵐 , 患 , 浄 , 療 , 診

■ 学習がくしゅうコンテンツ  

※ 読よみ仮名がなで漢字『かんじ』(『かんじ』)の様ように括弧かっこの付ついた漢字かんじは原書げんしょで読よみ仮名がなが付ついている漢字かんじです。
  旧きゅう仮名かな遣づかいは新しん仮名かな遣づかいに変かえている場合ばあいもあります。


作品さくひん名めい:小島こじまの春はる・序じょ
著者ちょしゃ名めい:光田みつだ 健輔けんすけ

 女❸じょいが癩ハンセン病❺❼きゅうりょうに一地いっち歩ほを築きずきたるは日本にほん❸学いがく史しに特筆とくひつすべき事実じじつである。先まづず服部はっとりけさ子こ女史じょしの草津くさつ聖せいバルナバ❸❸いいんにおける、余生よせいにおいて西原にしはら蕾つぼみ、五十❼いがらし正ただしの二女じじょ史しのごとき、大島おおしまに高橋たかはし竹代たけよ女史じょしあり、我わが愛あい生せい園えんにはさきに大西おおにし富美子とみこ女史じょしあり、本篇ほんぺんの著者ちょしゃ小川正子おがわまさこ女史じょしあり。皆みな一身いっしんを此この事業じぎょうになげうって悔くいなきの決心けっしんを有ゆうし、両親りょうしん親戚しんせきの❼告かんこくに耳みみをもかさず、世人せじんの批評ひひょうに頓着とんちゃくなきの男おとこまさりの徒とである。彼女かのじょ等らの❼者かんじゃに接せっするや、❼❼しんりょうの親切しんせつなるに加くわうるに女性じょせいの綿密めんみつを以もってする。❼者かんじゃ等らは女史じょし等らを見みるに慈じ母ぼの愛あいと姉妹しまいの親したしみを感かんずる。斯かくして十じゅう年ねん一いち日じつの如ごとく容色ようしょくの移うつるを顧かえりみるに暇ひまあらず、けだし癩かったいに対たいする同情どうじょうを禁きんずる能あたわざるに出いでしものにて、誠まことに❺きゅう癩らい戦線せんせんに欠かくべからざる存在そんざいと云いうべきである。
 小川おがわ❸官いかんは昭和しょうわ四よ年ねん東京とうきょう女子じょし❸専いせんを卒業そつぎょうするや 直ただちに全ぜん生しょう❸❸びょういんに就職しゅうしょくを志願しがんされたそうである。私わたくしは女史じょしを記憶きおくしないけれども どの志願しがん者しゃにも云いうごとく、親おや兄きょう弟だい姉し妹まいに相談そうだんして再考さいこうせられる事ことを❼告かんこくし、若もし是非ぜひ就職しゅうしょくしたいなら、二に、三さん年ねん大だいなる❸❸びょういんで内科ないかでも外科げかでも実地じっちを学まなび、市し井せいに開かい業ぎょうしても❸いとして間まに合あう腕うで前まえを養成ようせいしてきなさいと断ことわったそうである。それかあらぬか女史じょしは大おお久く保ぼ❸❸びょういんで細菌さいきん学がく及および内科ないかを、養育よういく会かいで小児しょうに科かを研究けんきゅうし、昭和しょうわ七しち年ねん再ふたたび手紙てがみで就職しゅうしょくを交渉こうしょうせられたが❸官いかん満員まんいんで返事へんじをしなかった。所ところが西原にしはら、五十❼いがらしの両りょう先輩せんぱいから長島ながしまに行いって直接ちょくせつ談判だんぱんをしなければ駄目だめであると教おしえられ、行李こうりをまとめて長島ながしまにこられた。其時そのとき船越ふなこしの桟橋さんばしから黒くろの袴はかまをはいて沈しずみ勝がちに上陸じょうりくして女性じょせいは、すっかり忘わすれておったが女史じょしであった。無論むろん❼者かんじゃは定員ていいん超過ちょうかで困こまっていた時ときであったから❸局いきょくで歓迎かんげいした。女史じょしは熱心ねっしんに内科ないかの❼❼しんりょうに従事じゅうじして、❼断しんだん正確せいかく治❼ちりょう綿密めんみつを以もって同僚どうりょう及および❼者かんじゃから信頼しんらいせられた。
 本篇ほんぺんは❼❼しんりょうの間あいだを利りし「つれづずれの友ともとなれ」といゆう御歌みうたの御み心こころを畏おそれみて土佐とさ、徳島とくしま、岡山おかやま等など各地かくちの❼家かんか訪問ほうもんの記録きろくである。女史じょしの臨床りんしょう上じょうにも一事いちじをゆるがせにする事ことの出来できない特性とくせいは家庭かてい訪問ほうもんの上うえにも到いたる処ところに発揮はっきせられている。即すなわち×ばつ×ばつ島じまの❼家かんか訪問ほうもんの序はしがきには附近ふきんの白砂しらす、真ま釜島かましまその他たの癩かったいの歴訪れきほうをも企くわだて、瀬戸せと内海ないかい島々しまじまの❼化じょうかの端緒たんしょを開ひらき、作さく北ほく国くに境ざかいの癩かったいをたづずねては僅わずかの手てがかりから頼たのまれもしない重症じゅうしょう癩らいの住家すみかに踏ふみ込こみ、❼者かんじゃを死地しちより❺すくい出だし、土佐とさの癩かったいをたづずねては短たん時じ日じつの間あいだに自転じてん車しゃの後うしろに乗のせてもらい、危険きけんなる山坂やまさかを跋渉ばっしょうする等など、顔かおを見みればやさしい女性じょせいであるが、やる事ことはやむにやまれぬ男おとこまさりである。此この頃ごろ大陸たいりくに銀翼ぎんよくを振ふるう処ところの皇軍こうぐん海陸かいりくの荒鷲あらわしが、武装ぶそう都市としを爆撃ばくげきして世界せかいの人心じんしんを驚嘆きょうたんせしめているが、女史じょしにして男おとこであったなら、或あるいは此この途みちを選えらんだかも知しれない。しかし女性じょせいとして❺きゅう癩らい戦線せんせんに投とうじた愛あいの爆弾ばくだんは高知こうち、徳島とくしま、岡山おかやま、東京とうきょう等などの各地かくちにおいて不発ふはつに終おわった事ことはない。或あるいは其その地ちの有司ゆうしを動うごかし、或あるいは地方ちほうの有力ゆうりょく者しゃを動うごかし、十坪じゅっつぼ住宅じゅうたくの運動うんどう乃至ないし無む癩らい県けんの運動うんどうを刺戟しげきし、まき起おこしている。女史じょしから癩かったいの話はなしをきいた人々ひとびとは遺伝いでんの迷信めいしんからさめ、伝染でんせんを如何いかに速すみやかに根絶こんぜつとすべきかを衷心ちゅうしんから考かんがえる。畢竟ひっきょう女史じょしの熱誠ねっせいから出いづずる言々げんげん句々くくに対たいする感銘かんめいである。此この熱誠ねっせいの根源こんげんは何いずれの処ところよりくるのであるか、之これは畏おそれ多おおい事ことであるが、上じょう 皇太后こうたいごう陛下へいかの御ご軫念しんねんを奉戴ほうたいし、私ひそかに御おん使つかいであると自任じにんする強烈きょうれつなる信念しんねんよりほとばしりいづずるからであろうと信しんずる。
 女史じょしは近来きんらい健康けんこうを損そんじて来きた。癩かったいからしばらく遠とおざからねばならぬ事ことは死しに勝まさるつらい事ことであろうが、胸むねの❸やまいは暫時ざんじ静養せいようを強要きょうようした。此この数すう月げつ来らい、内田うちだ❸官いかんが❸びょう間かんこの随筆ずいひつの整理せいりを切せつに❼告かんこくし、遂ついに出版しゅっぱんを見みるに至いたった。此この書しょによりて女史じょしの企図きとした、瀬戸せと内海ないかいの島々しまじまの癩かったいが一いち日にちも早はやく❼きよめられ小島こじまに麗うららわしき春はるのきたらん事ことは女史じょし一人ひとりの願ねがいではない。又また、それと同時どうじに、本書ほんしょによって心こころ動うごかさるる諸賢しょけんに女史じょしの再起さいきを祈いのって頂いただき度たく思おもう次第しだいである。

  昭和しょうわ十じゅう三さん年ねん十じゅう月がつ二に十じゅう一いち日にち
    光田みつだ健輔けんすけ識しるす

■ コンテンツこんてんつ  


作品さくひん名めい:小島こじまの春はる・序じょ
著者ちょしゃ名めい:光田みつだ 健輔けんすけ

 女医じょいが癩ハンセン病救療きゅうりょうに一地いっち歩ほを築きずきたるは日本にほん医学いがく史しに特筆とくひつすべき事実じじつである。先まづず服部はっとりけさ子こ女史じょしの草津くさつ聖せいバルナバばるなば医院いいんにおける、余生よせいにおいて西原にしはら蕾つぼみ、五十嵐いがらし正ただしの二女じじょ史しのごとき、大島おおしまに高橋たかはし竹代たけよ女史じょしあり、我わが愛あい生せい園えんにはさきに大西おおにし富美子とみこ女史じょしあり、本篇ほんぺんの著者ちょしゃ小川正子おがわまさこ女史じょしあり。皆みな一身いっしんを此この事業じぎょうになげうって悔くいなきの決心けっしんを有ゆうし、両親りょうしん親戚しんせきの勧告かんこくに耳みみをもかさず、世人せじんの批評ひひょうに頓着とんちゃくなきの男おとこまさりの徒とである。彼女かのじょ等らの患者かんじゃに接せっするや、診療しんりょうの親切しんせつなるに加くわうるに女性じょせいの綿密めんみつを以もってする。患者かんじゃ等らは女史じょし等らを見みるに慈じ母ぼの愛あいと姉妹しまいの親したしみを感かんずる。斯かくして十じゅう年ねん一いち日じつの如ごとく容色ようしょくの移うつるを顧かえりみるに暇ひまあらず、けだし癩かったいに対たいする同情どうじょうを禁きんずる能あたわざるに出いでしものにて、誠まことに救きゅう癩らい戦線せんせんに欠かくべからざる存在そんざいと云いうべきである。
 小川おがわ医官いかんは昭和しょうわ四よ年ねん東京とうきょう女子じょし医専いせんを卒業そつぎょうするや 直ただちに全ぜん生しょう病院びょういんに就職しゅうしょくを志願しがんされたそうである。私わたくしは女史じょしを記憶きおくしないけれども どの志願しがん者しゃにも云いうごとく、親おや兄きょう弟だい姉し妹まいに相談そうだんして再考さいこうせられる事ことを勧告かんこくし、若もし是非ぜひ就職しゅうしょくしたいなら、二に、三さん年ねん大だいなる病院びょういんで内科ないかでも外科げかでも実地じっちを学まなび、市し井せいに開かい業ぎょうしても医いとして間まに合あう腕うで前まえを養成ようせいしてきなさいと断ことわったそうである。それかあらぬか女史じょしは大おお久く保ぼ病院びょういんで細菌さいきん学がく及および内科ないかを、養育よういく会かいで小児しょうに科かを研究けんきゅうし、昭和しょうわ七しち年ねん再ふたたび手紙てがみで就職しゅうしょくを交渉こうしょうせられたが医官いかん満員まんいんで返事へんじをしなかった。所ところが西原にしはら、五十嵐いがらしの両りょう先輩せんぱいから長島ながしまに行いって直接ちょくせつ談判だんぱんをしなければ駄目だめであると教おしえられ、行李こうりをまとめて長島ながしまにこられた。其時そのとき船越ふなこしの桟橋さんばしから黒くろの袴はかまをはいて沈しずみ勝がちに上陸じょうりくして女性じょせいは、すっかり忘わすれておったが女史じょしであった。無論むろん患者かんじゃは定員ていいん超過ちょうかで困こまっていた時ときであったから医局いきょくで歓迎かんげいした。女史じょしは熱心ねっしんに内科ないかの診療しんりょうに従事じゅうじして、診断しんだん正確せいかく治療ちりょう綿密めんみつを以もって同僚どうりょう及および患者かんじゃから信頼しんらいせられた。
 本篇ほんぺんは診療しんりょうの間あいだを利りし「つれづずれの友ともとなれ」といゆう御歌みうたの御み心こころを畏おそれみて土佐とさ、徳島とくしま、岡山おかやま等など各地かくちの患家かんか訪問ほうもんの記録きろくである。女史じょしの臨床りんしょう上じょうにも一事いちじをゆるがせにする事ことの出来できない特性とくせいは家庭かてい訪問ほうもんの上うえにも到いたる処ところに発揮はっきせられている。即すなわち×ばつ×ばつ島じまの患家かんか訪問ほうもんの序はしがきには附近ふきんの白砂しらす、真ま釜島かましまその他たの癩かったいの歴訪れきほうをも企くわだて、瀬戸せと内海ないかい島々しまじまの浄化じょうかの端緒たんしょを開ひらき、作さく北ほく国くに境ざかいの癩かったいをたづずねては僅わずかの手てがかりから頼たのまれもしない重症じゅうしょう癩らいの住家すみかに踏ふみ込こみ、患者かんじゃを死地しちより救すくい出だし、土佐とさの癩かったいをたづずねては短たん時じ日じつの間あいだに自転じてん車しゃの後うしろに乗のせてもらい、危険きけんなる山坂やまさかを跋渉ばっしょうする等など、顔かおを見みればやさしい女性じょせいであるが、やる事ことはやむにやまれぬ男おとこまさりである。此この頃ごろ大陸たいりくに銀翼ぎんよくを振ふるう処ところの皇軍こうぐん海陸かいりくの荒鷲あらわしが、武装ぶそう都市としを爆撃ばくげきして世界せかいの人心じんしんを驚嘆きょうたんせしめているが、女史じょしにして男おとこであったなら、或あるいは此この途みちを選えらんだかも知しれない。しかし女性じょせいとして救きゅう癩らい戦線せんせんに投とうじた愛あいの爆弾ばくだんは高知こうち、徳島とくしま、岡山おかやま、東京とうきょう等などの各地かくちにおいて不発ふはつに終おわった事ことはない。或あるいは其その地ちの有司ゆうしを動うごかし、或あるいは地方ちほうの有力ゆうりょく者しゃを動うごかし、十坪じゅっつぼ住宅じゅうたくの運動うんどう乃至ないし無む癩らい県けんの運動うんどうを刺戟しげきし、まき起おこしている。女史じょしから癩かったいの話はなしをきいた人々ひとびとは遺伝いでんの迷信めいしんからさめ、伝染でんせんを如何いかに速すみやかに根絶こんぜつとすべきかを衷心ちゅうしんから考かんがえる。畢竟ひっきょう女史じょしの熱誠ねっせいから出いづずる言々げんげん句々くくに対たいする感銘かんめいである。此この熱誠ねっせいの根源こんげんは何いずれの処ところよりくるのであるか、之これは畏おそれ多おおい事ことであるが、上じょう 皇太后こうたいごう陛下へいかの御ご軫念しんねんを奉戴ほうたいし、私ひそかに御おん使つかいであると自任じにんする強烈きょうれつなる信念しんねんよりほとばしりいづずるからであろうと信しんずる。
 女史じょしは近来きんらい健康けんこうを損そんじて来きた。癩かったいからしばらく遠とおざからねばならぬ事ことは死しに勝まさるつらい事ことであろうが、胸むねの病やまいは暫時ざんじ静養せいようを強要きょうようした。此この数すう月げつ来らい、内田うちだ医官いかんが病びょう間かんこの随筆ずいひつの整理せいりを切せつに勧告かんこくし、遂ついに出版しゅっぱんを見みるに至いたった。此この書しょによりて女史じょしの企図きとした、瀬戸せと内海ないかいの島々しまじまの癩かったいが一いち日にちも早はやく浄きよめられ小島こじまに麗うららわしき春はるのきたらん事ことは女史じょし一人ひとりの願ねがいではない。又また、それと同時どうじに、本書ほんしょによって心こころ動うごかさるる諸賢しょけんに女史じょしの再起さいきを祈いのって頂いただき度たく思おもう次第しだいである。

  昭和しょうわ十じゅう三さん年ねん十じゅう月がつ二に十じゅう一いち日にち
    光田みつだ健輔けんすけ識しるす

■ 原書情報(青空文庫) 図書カード:No.55155(新字新仮名) https://www.aozora.gr.jp/cards/001698/card55155.html https://www.aozora.gr.jp/cards/001698/files/55155_55499.html 底本:「[復刻版]小島の春」長崎出版    2009(平成21)年5月30日初版第1刷発行 底本の親本:「小島の春 ――ある女医の手記――」長崎出版    1981(昭和56)年 入力:岡山勝美 校正:Juki
■ 漢字の説明( Explanation of kanji )  
❸
医
イ・▲医いやす・▲医くすし
doctorだくた ,healingひーりんぐ ,cureきゅぁ ,medicめでぃく
❸
病
ビョウ・㋙ヘイ・㊥病やむ・病やまい
diseaseでぃじーす ,disorderでぃそーだ ,sicknessしくにす ,afflictionぁふりくしゃん ,maladyみゃらでぃ
❸
院
イン・▲院かき・▲院かこい
hospitalはすぴとる ,templeてむぷる ,authorityぁそーらてぃ ,graduateぐらじゅぁと schoolすくーる
❺
救
キュウ・▲グ・ク・救すくう・▲救たすける
salvationさるゔぇいしゃん ,rescueれすきゅー ,savingせいゔぃんぐ ,relieveりりーゔ ,salveさるゔ
❼
勧
カン・▲ケン・勧すすめる
solicitationさりさてぃしゃん ,offerおーふぁ ,encourageいんかーりじ ,adviseあどゔぁぃず ,recommendれかめんど
❼
嵐
▲ラン・嵐あらし
stormすとーむ ,tempestてむぴすと
❼
患
カン・▲ゲン・㋙患わずらう・▲患うれえる・▲患うれい
affectedぁふくてぃど ,troubleとらぶる ,worryわーり
❼
浄
ジョウ・▲浄きよい
purificationぴゅらふぃけいしゃん ,cleaningくりーにんぐ ,cleansingくれじんぐ
❼
療
リョウ・▲療いやす
medicalめでぃかる treatmentとりーとまんと ,recuperationりくーぱれぃしゅん
❼
診
シン・診みる
medicalめでぃかる examinationいぐじゃまねいしゃん ,diagnosticsだいぁぐなすてぃくす ,diagnosisだぃぁぐのぅしす
(付記,Note)
※ 最初の行は音訓読みを記載しています。カタカナは音読み、ひらがなルビは訓読みです。
※ ▲は常用外の読み方です。㊥は中学・㋙は高校で習う読み方です。漢検・漢字辞典の記載に準拠しています。
※ ▲ is a non-regular reading. ㊥ is the reading learned in junior high school and ㋙ is the reading learned in high school.
■ 漢字のリンク集/書き順&意味 , stroke order:Mojinavi , Another languages:Google , Bing
1小3 ❸医MojnaviGoogleBing
2小3 ❸病MojnaviGoogleBing
3小3 ❸院MojnaviGoogleBing
4小5 ❺救MojnaviGoogleBing
5中学 ❼勧MojnaviGoogleBing
6中学 ❼嵐MojnaviGoogleBing
7中学 ❼患MojnaviGoogleBing
8中学 ❼浄MojnaviGoogleBing
9中学 ❼療MojnaviGoogleBing
10中学 ❼診MojnaviGoogleBing
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Q:青空文庫って、何ですか?
A:1997年に始まったボランティア活動で、誰にでもアクセスできる自由な電子本を、共有可能なものとして図書館のようにインターネット上に集めようとしております。現在は、日本国内で著作権保護期間の満了した作品を中心に、ボランティアのみなさんの力によって電子化作業を進めています。青空文庫はそういった電子化活動のための、またその成果物をアーカイヴしておくための場でもあり、そこからコピーされた本の集成や活用事例もまた〈青空文庫〉と呼ばれることがあります。
Q: What is Aozora Bunko?
A: The volunteer activities, which began in 1997, the free e-book that can be accessed by anyone in, we are going to gather on the Internet like a library as a thing that can be shared. Currently, we are proceeding with digitization work with the help of volunteers, focusing on works whose copyright protection period has expired in Japan. Aozora Bunko is a place for such digitization activities and for archiving the deliverables, and the collection and use cases of books copied from it are also sometimes called “Aozora Bunko”.
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