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ダイ6ワ ニッポン ブンカ ト カガク テキ シソウ・イシワラ アツシ


学習ガクシュウコンテンツ 


作品サクヒンメイ日本ニホン文化ブンカ科学的カガクテキ思想シソウ
著者チョシャメイ石原イシワラアツシ

 ❹々シュジュ❶❺ガクジュツナカ❷❶カガクトク❷❶スウガク❷❹シゼン❷❶カガク❻❼ジュンスイ❸❹❹キャッカンテキなものであり、したがってモット❷❺❹コクサイテキなものとしてカンガえられてきたのほとんど❷❹トウゼンなされていたにもかかわらず、ひとたびドイツドイツにおいてナチスナチス❺❹セイジがはじめられるにおよんで、その❷❼キョウレツ❷❼コクスイ❸❺シュギ❸❺ジツゲンとともに、ユダヤユダヤ❷❸シソウ❼❼ハイゲキオコナわれ、ついに❷❶カガク❹❸❺ミンゾクセイ❸❺シュチョウサケばれ、ドイツドイツ❷❶スウガクドイツドイツ❸❷❶ブツリガクのごときが❷❸キョウチョウせられるにイタったの❸❸セカイにおけるヒトつのオドロくべき❷❸❹シソウテキ❻❹イヘンといわねばならない。
 ところで❷❼コクスイ❸❺シュギのしょうどう❶❶ニホンにおいても❷❷キンジいちじるしくサカんであるの、あたかもドイツドイツているともいわれるであろう。たとえここにはかのごとき❺❹❹セイジテキ❷❺キョウアツオコナわれていないといっても、クチ❶❶ニホン❺❸セイシンタタえないものあたかも❷❹コクミンであるかのごとくになされるばかりである。まことにオソろしいナカであるといわねばならない。だが、しかしわれわれどこまでも❹❹レイセイにこの❶❶ニホン❺❸セイシンなるものの❷❺ナイヨウ❺❻ケントウしてゆくことをワスれてならない。そこにわれわれが❷❶コンニチぜひとも❹❹ヒツヨウとする❷❶❹カガクテキ❷❸シソウがどれほどフクまれているのであるか。もしこれが❶❷ジュウブンでないとするならば、それそもいかなる❸❺ジジョウ❸❷ユライするのであるか。これらにカンする❸❶❹コンポンテキ❷❹コウサツ、われわれの❶❶ニホン❶❸ブンカ❻❷ショウライにおいてタダしくミチビくために❺❸ゼッタイ❹❹ヒツヨウであって、かような❷❼コウリョなしにタン❷❼コクスイ❸❺シュギ❹❼コシュウするのむしろはなはだ❻❺キケン❷❸シソウテキ❼❸ケイコウであるとせねばならないであろう。
 ワタシるところで❶❶ニホン❺❸セイシンといえども、そのナカ❹❸ミンゾク❹❸コユウな、いわば❶❶❹センテンテキ❹❺ヨウソもありるであろうが、しかし❷❷ドウジ❺❺❹レキシテキ❶❶ニホン❶❸ブンカ❷❷カタチヅクられて❺❺カテイにおける❼❺カンキョウによって❺❸シハイされたオオくの❹❺ヨウソをもフクんでいるのである。それユエにすでに❼❺カンキョウコトなる❸❸アリサマ❼❹トウタツしたウエ、われわれむしろここに❺❺テキオウする❺❸セイシン❷❺ナイヨウ❶❷ジュウブン❸❹ハッタツさせねばならないのであって、そうでなくて❷❷コッカ❹❸ミンゾク❸❻ハッテンられないの、これこそ❸❸シンカガク❼❼❹フヘンテキ❷❷ゲンリである。❼❺カンキョウのいかんにかかわらず、❻❷ジュウライ❺❸セイシン❷❸シソウタンにそのままに❹❸コシュすることを❷❷ゲンリとするごとき❷❼コクスイ❸❺シュギ、それの❼❼ヘンキョウセイ❺❺ドクダンセイとによって、やがてそれ❷❸ジシン❼❼スイメツせしめるであろうことオソらく❷❶❹カガクテキ❸❺ジッショウされるのである。すなわち❷❼コクスイ❸❺シュギそれの❺❸セイシン❷❺ナイヨウ❺❸ゲンジツ❼❺カンキョウにどこまで❺❺テキオウするかイナかをつまびらかに❺❻ケントウしたウエで、はじめてその❺❻カチ❺❺ハンダンるのであって、これをいてタンにそれにハシること、あたかも❺❼ダンガイにむかって❼❶❹モウモクテキ❼❸トッシンすると❷❸ドウヨウ❻❺❺キケンセイをさえ❹❻ホウゾウするとカンガえられる。
 ワタシ❻❷ジュウライ❶❶ニホン❶❸ブンカ❷❶❹カガクテキ❷❸シソウにおいてきわめて❺❻ヒンコンであったことをいいたかったのである。❶❶ニホンのみでなく❺❼シナインドインドフク❷❸トウヨウにおいて❷❺ナゼ❷❹シゼン❷❶カガクオコらなかったかとうことについて❹❼シュウトウ❺❻ケントウヨウするとオモう。これをもってタン❷❸トウヨウ❺❸セイシンのなかに❷❶❹カガクテキ❷❸シソウけているとうことにするだけでナニ❺❻カチもない。それタシかな❸❸ジジツであるにちがいないが、この❸❸ジジツ❹❹ケッカせしめねばならなかったところの❺❸カコ❺❺❹レキシテキ❼❺カンキョウがどんなものであったかを、われわれ❷❼ブンセキ❷❸コウキュウしなくていけない。そのウエではじめて❹❸❹ミンゾクテキ❶❺ホンシツスガタシン⓫❷『センメイ』せられるのであって、だからこそワタシ❶❸イッテイ❼❺カンキョウのもとにのみあらわれた❺❸カコ❺❸セイシン❷❺ナイヨウをただちにわれわれに❹❸コユウなものと❷⓫シイするのをアヤマっているとするので、これについてもシン❷❶❹カガクテキ❷❷シンリ❷❹コウサツヨウするとカンガえるのである。
 すでに❶❼イッパンられているとおりに、❶❶ニホン❶❸ブンカ❹❺トクシツ、いつも❸❺❹グショウテキ❷❹❹チョッカンテキ❸❸ジブツ❷❹コウサツにおいてあらわれ、しかもそれがホカルイないほどな❼❻チミツ❷❼サイビイキ❼❹トウタツしているのである。❷❶ドウイツ❷❷ゲンゴ❸❺ヒョウゲン❸❸ヨウシキがきわめて❷❹❹タシュルイにわたるとうわが❷❷コクゴ❹❻❺トクイセイや、❶❶ニホン❶❶ブンガクおよびホカ❹❺ゲイジュツにおける❺❼ジョウシュテキ❸❹カンカク❶❹イッシュ❷❺フウカクやいわゆるショ❹❷ゲイドウ❺❷❹ドクジテキ❸❹ハッタツのごとき、ことごとくこれにゾクするものである。ところがこれにカエして❼❺❹チュウショウテキ❻❷❹ロンリテキ❷❷シコウイタってそのるべきものがきわめて『マレ』であるとうことジツオドロくばかりである。だが、しかしこのコトによってただちにわが❶❶ニホン❹❸ミンゾクかような❼❺チュウショウテキ❻❷❹ロンリテキ❷❷シコウ❶❶❹センテンテキ❹如『ケツジョ』していると❸❺ソクダンしていけない。むしろ❷❶タネン❺❺❹レキシテキ❼❺カンキョウがわれわれをしてかくあらしめたとカンガえることができるからである。
 ワタシしかしここに❸❶チュウモクすべきヒトつの❸❸ジジツ『トラ』えることができるようにオモう。❶❶❶ニホンジン❸❺❹グショウテキ❷❹❹チョッカンテキ❸❸ジブツ❷❹コウサツのみをオコナっていたとうことアタえられた❷❹❹シゼンテキ❼❺カンキョウのなかに❹❶マンゾクをもとめていたのを❸❸イミするのである。たといその❷❶コクド❹❷カクジ❶❷セイカツタイしてメグまれたものであったとしても、それ❹❶イジョウオオくをモトめることにあえてススまなかったとうのタシかにそれだけ❷❶❹ラクテンテキもしく諦念『テイネン』テキであったゆえでないであろうか。❷❼❶セイオウジンがむしろ❼❼インサン❸❻シンコク❺❺セイジョウをもっているのにくらべて、❶❶❶ニホンジンかえって❸❼アンタイ❷❻メイロウである。❺❼シナにおいて❺❷ブッキョウイチジルしく⓫❸❹エンセイテキ❻❸❹ヒテイテキであるのにくらべてさえ、❶❶ニホン❹❷デンライしてタシかにその❼❸ケイコウウスくしている。もしかようなものがわれわれの❹❸❹ミンゾクテキ❹❺トクシツであるとするなら、それややもすればわれわれを⓫❸『トウアン』テキミチビくものとしてオオいに『イマシ』めねばならないとオモわれる。
 しかしこれとても❼❸オンワウツクしい❷❶フウドメグまれたとともに、❻❷ジュウライ❶❶ニホン❷❺❹コクサイテキ❼❶コリツ❼❺カンキョウかれて、❷❻ガイテキウレえることをほとんどヨウしなかったような❷❶タネン❺❺レキシ❷❹コクミンにかような❸❺シュウセイ❷❷カタチヅクるにイタらしめたとることがおそらくタダしいのであって、タン❼❺❹チュウショウテキにこの❺❺❹レキシテキ❷❷❹チリテキ❼❺カンキョウからハナして❹❸❺ミンゾクセイカンガえること❶❷ニンゲン❷❷シンリ❸❻ハッテン❺❺カテイ❹❻ムシしたものであろう。
 ともかくこのようにして❷❸トウヨウ❶❺ガクジュツほとんど❸❺❹グショウテキ❷❹❹チョッカンテキ❷❷シコウウエっている。❷❹シゼン❷❶❹カガクテキなものとして、わずかに❼❶レキガク❸❷カンポウ❸❶イガク❶草『ホンゾウ』ガクのごときがあるにぎないが、それらがまったく❷❹❹チョッカンテキ❺❹ケイケンウエにのみ❷❷カタチヅクられ、❶❷イッポ❼❺❹チュウショウテキススまなかったの、むしろ顕❻『ケンチョ』カンテイしている。オオくの❸❷❹ジツヨウテキショ❺❺ギジュツのまた❷❸ドウヨウであったのも❸❶チュウモクされねばならない。
 ところがこのアイダにあってひとり❷❶スウガクがはなはだ❼❺❹チュウショウテキススんだの❶❶イッケン❼❻キイカンがある。すなわち❸❷『ワザン』ショウせられるもの❹❹サイショ❺❼シナ❷❹サンポウから❸❻ハッテンしたものであるが、❶❶ジュウナナ❸❺セイキ❹❷イゴオオいにススみ、❹❻❸『セキタカカズ』❶❶❶❶センロッピャクヨンジュウニネンカラ❶❶〇❶センナナヒャクハチネン)にイタって❸❷ヒッサンシキ❸❷❶ダイスウガク❻❹ソウアンをはじめとし、❷❺❸ホウテイシキロン❷❸ギョウレツシキロン❹❺ムゲン❸❷キュウスウ❹❶キョクダイ❹❶キョクショウ❸❸モンダイ❸❷セイスウロン❶❷サンカクジュツナドカンする❷❸コウトウ❷❶スウガクをとりあつかい、そのイチジルしい❸❹ハッタツ❸❺ジツゲンせしめたことジツオドロくにりる。⓫❷『ジゴ』❷❹メイジ❹❶ショネンイタるまでオオくの❸❷❷ワサンカ❼❶ハイシュツしたが、この❶❸イチジ❶❶❶ニホンジンにおいてもまた❼❺❹チュウショウテキ❻❷❹ロンリテキ❺❶ノウリョクケッしてけているものでないことをシメヒトつの❸❺ジッショウとして、われわれのオオいにツヨうするにりるものである。だがしかもそれ❶❼イッパンにいえばかえってあまりにも❼❺❹チュウショウテキぎるものであった。つまり、これらの❸❷❷ワサンカのとりあつかった❸❸モンダイすべてそれ❷❸ジシン❷❺❹チノウテキ❺❺ギジュツ❼❺コジするものでしかなかった。それあたかも❻❼ショウギのような❷❺チノウテキ❸❼ユウギ❷❸ドウトウカンさえある。しかも❷❷トウジ❼❹❹ホウケンテキ❷❷シャカイにあって、これらの❷❺チシキいたずらに❻❹ヒデンとして❼❺カクゼツせられて、❶❼❹イッパンテキ❼❼フキュウ❹❷キカイウシナうとともに、この❼❺❹チュウショウテキ❷❷シコウホカ❸❷❹グタイテキ❸❸ジブツウエ❹❷リヨウすることがまったくオコナわれなかった。
 セキ❻❸タカカズニュートンニュートン❶❶❶❶センロッピャクヨンジュウニネンカラ❶❶❶❶センナナヒャクニジュウナナネン)と❷❶ドウネンウマれていること❺❺❹レキシテキオオいにわれわれの❺❸キョウミをひくところであるが、ニュートンニュートン❷❸バンユウ❷❶インリョク❸❸モンダイくために❼❹❷ビセキブンガク❸❷ハツメイしたのにカエして、セキ❻❸タカカズ❻❼ジュンスイ❼❺❹チュウショウテキ❹々シュジュ❷❶❹スウガクテキ❹❸カンケイミチビしたとテンにおいて、たとい❷❶スウガクジョウ❹❺コウセキカンしてオオナドロンじないとしても、それの❶❼イッパン❶❺❹ガクジュツテキ❺❹コウカタイする❸❶ジュウダイ❹❹サベツショウじたのであった。これについて❼❺キジュツのごとく❷❷❹シャカイテキ❼❺カンキョウオオいに❷❷サヨウしているのもちろんであるが、ともかくニュートンニュートン❹❷イゴ❷❸セイヨウにおいてあれほどすばらしく❷❹シゼン❷❶カガク❸❹ハッタツしきたったと❸❸ジジツと、わがクニにおいてそれの❼❷ビサイ⓫芽『ホウガ』さえもられなかったことを❸❺タイヒして、われわれいまさらに❸❸リョウシャイチジルしい❸❼ソウイオドロかないわけにゆかないであろう。
 ❷❸セイヨウ❷❹シゼン❷❶カガクがわがクニ❺❶ユニュウされて、❷❶キョウともかく❷❸ドウトウ❷❶カガクテキ❷❺チシキ❼❺カクトクするにイタったの❸❼コウケイアタいする。だが、ワタシのとくに❸❸チュウイしたいこと❷❺チシキ❶❷イッチョウにしてマナるものであっても、これが❸❶ネモトをなすところの❷❶❹カガクテキ❷❸シソウ⓫❹『カンヨウ』けっしてさほど❺❺ヨウイないとテンである。❷❶キョウまでの❶❶ニホン❶❸ブンカにおいてこの❷❶❹カガクテキ❷❸シソウ『カ』いていたのイチ❻❷ジュウライ❼❺カンキョウによるのであるとホグしたところで、さて❼❺カンキョウ❹❸ヘンカ❹❸ミンゾク❷❸シソウ❸❷❹グタイテキ❼❼エイキョウ❸❷モチキタさしめるまでにジツにそのアイダにおける❷❶タダイ❹❶ドリョク❻❼フンレイとを❹❹ヒツヨウとしなければならない。❷❶キョウもとより❷❷コッカ❻❶ソンリツ❸❶❺ジュウダイセイについて❶❷ジュウブンざめているものにとって、この❻❺イジョウ❸❸ケツイ❼❷スイコウ❺❺❺カノウセイウタガうべきでないとしても、われわれなおそこに❶抹『イチマツ』❼❼ユウリョるわけにゆかないのである。
 わがクニ❷❶❹カガクテキ❸❸ケンキュウにおいてなお❻❸❹ソウイテキなるもののはなはだとぼしいのゲン❻❸ヒテイせられない❸❸ジジツである。これ❶❸イチメンにおいて❷❶❹カガクテキ❷❸シソウ⓫❹『カンヨウ』❹❶フソクをものがたるとトモに、❸❸タメンにおいて❶❺ジョウジュツ❷❶タネン⓫❸『トウアン』テキ❸❺シュウセイワザワいしているのでないかとカンガえられる。このコトをもって、ドイツドイツジン❸❷ユライ❸❸セカイにおいて❷❶❹カガクテキ❷❸シソウモットチョウじているのと❸❺タイヒするならば、いたずらに❸❸❹ヒョウメンテキにのみドイツドイツ❷❼コクスイ❸❺シュギ❻❼モホウすることの❻❺❺キケンセイアキらかにすることができるであろう。❷❶ドウイツ❷❼コクスイ❸❺シュギ❶❶メイモクのもとに、だがドイツドイツ❷❶カガク❸❺タイヒするどんな❶❶ニホン❷❶カガクがありるのであるか。しかも❷❶コンニチ❷❶カガク❸❹ウムこそ❷❷コッカ❸❸ウンメイ❸❸ケッテイする❹❶サイダイ❹❺ヨウソであることウタガうべくもない。それユエ❶❶ニホン❶❸ブンカ❻❷ショウライにおいて❶❻イッソウサカんならしめるためにワタシナニをおいても❷❶❹カガクテキ❷❸シソウ⓫❹カンヨウこそモット❸❹ジュウヨウであるとしないわけにゆかないのである。

コンテンツこんてんつ 


作品サクヒンメイ日本ニホン文化ブンカ科学的カガクテキ思想シソウ
著者チョシャメイ石原イシワラアツシ

 種々シュジュ学術ガクジュツナカ科学カガクトク数学スウガク自然シゼン科学カガク純粋ジュンスイ客観的キャッカンテキものモノありアリしたがってシタガッテモット国際的コクサイテキものモノとしてトシテカンガられてラレテきたキタほとんどホトンド当然トウゼンされてサレテいたイタにもニモかかわらずカカワラズひとたびヒトタビドイツドイツにおいてニオイテナチスナチス政治セイジはじめハジメられるラレルおよんでオヨンデそのソノ強烈キョウレツ国粋コクスイ主義シュギ実現ジツゲンとともにトトモニユダヤユダヤ思想シソウ排撃ハイゲキオコナわれワレついにツイニ科学カガク民族性ミンゾクセイ主張シュチョウサケばれバレドイツドイツ数学スウガクドイツドイツ物理学ブツリガクごときゴトキ強調キョウチョウられるラレルイタったッタ世界セカイおけるオケルヒトオドロべきベキ思想的シソウテキ異変イヘンいわイワねばネバならないナラナイ
 ところでトコロデ国粋コクスイ主義シュギしょうどうショウドウ日本ニホンにおいてニオイテ近時キンジいちじるしくイチジルシクサカであるデアルあたかもアタカモドイツドイツいるイルともトモいわれるイワレルあろうアロウたとえタトエここココにはニハかのカノごときゴトキ政治的セイジテキ強圧キョウアツオコナわれワレいないイナイいってもイッテモクチ日本ニホン精神セイシンタタないナイものモノあたかもアタカモ国民コクミンあるアルかのカノごとくゴトクされるサレルばかりバカリであるデアルまことマコトオソろしいロシイナカあるアルいわねばイワネバならないナラナイだがダガしかしシカシわれわれワレワレどこまでドコマデ冷静レイセイこのコノ日本ニホン精神セイシンなるナルものモノ内容ナイヨウ検討ケントウしてシテゆくユクことコトワスれてレテならないナラナイそこソコわれわれワレワレ今日コンニチぜひともゼヒトモ必要ヒツヨウするスル科学的カガクテキ思想シソウどれほどドレホドフクまれてマレテいるイルのでノデあるアルもしモシこれコレ十分ジュウブンないナイするスルならばナラバそれソレそもソモいかなるイカナル事情ジジョウ由来ユライするスルのでノデあるアルこれらコレラカンするスル根本的コンポンテキ考察コウサツわれわれワレワレ日本ニホン文化ブンカ将来ショウライにおいてニオイテタダしくシクミチビためタメ絶対ゼッタイ必要ヒツヨウあってアッテかようカヨウ考慮コウリョなしナシタン国粋コクスイ主義シュギ固執コシュウするスルむしろムシロはなはだハナハダ危険キケン思想シソウテキ傾向ケイコウあるアルせねばセネバならナラないナイあろうアロウ
 ワタシところトコロ日本ニホン精神セイシンいえどもイエドモそのソノナカ民族ミンゾク固有コユウいわばイワバ先天的センテンテキ要素ヨウソありアリあろうアロウしかしシカシ同時ドウジ歴史的レキシテキ日本ニホン文化ブンカ形作カタチヅクられラレ過程カテイにおけるニオケル環境カンキョウによってニヨッテ支配シハイされたサレタオオ要素ヨウソをもヲモフクんでンデいるイルあるアルそれソレユエすでにスデニ環境カンキョウコトなるナル有様アリサマ到達トウタツしたシタウエわれわれワレワレむしろムシロここココ適応テキオウするスル精神セイシン内容ナイヨウ十分ジュウブン発達ハッタツさせサセねばネバならナラないナイのでノデあってアッテそうでソウデなくてナクテ国家コッカ民族ミンゾク発展ハッテンられラレないナイこれコレこそコソ進化シンカガク普遍的フヘンテキ原理ゲンリあるアル環境カンキョウいかんイカンかかわらずカカワラズ従来ジュウライ精神セイシン思想シソウタンそのままソノママ固守コシュするスルことコト原理ゲンリするスルごときゴトキ国粋コクスイ主義シュギそれソレ偏狭ヘンキョウセイ独断ドクダンセイによってニヨッテやがてヤガテそれソレ自身ジシン衰滅スイメツせしめるセシメルあろうアロウことコトオソらくラク科学的カガクテキ実証ジッショウされるサレルあるアルすなわちスナワチ国粋コクスイ主義シュギそれソレ精神セイシン内容ナイヨウ現実ゲンジツ環境カンキョウどこドコまでマデ適応テキオウするスルイナつまびらかツマビラカ検討ケントウしたシタウエはじめてハジメテそのソノ価値カチ判断ハンダンのでノデあってアッテこれコレいてイテタンそれソレハシことコトあたかもアタカモ断崖ダンガイむかってムカッテ盲目的モウモクテキ突進トッシンするスル同様ドウヨウ危険性キケンセイさえサエ包蔵ホウゾウするスルカンガられるラレル
 ワタシ従来ジュウライ日本ニホン文化ブンカ科学的カガクテキ思想シソウおいてオイテきわめてキワメテ貧困ヒンコンあったアッタことコトいいたイイタかったカッタであるデアル日本ニホンのみノミなくナク支那シナインドインドフク東洋トウヨウにおいてニオイテ何故ナゼ自然シゼン科学カガクオコなかったナカッタことコトについてニツイテ周到シュウトウ検討ケントウヨウするスルオモこれコレもってモッテタン東洋トウヨウ精神セイシンなかナカ科学的カガクテキ思想シソウけてケテいるイルことコトするスルだけダケナニ価値カチないナイそれソレタシ事実ジジツあるアルちがいチガイないナイこのコノ事実ジジツ結果ケッカせしめセシメならナラなかったナカッタところトコロ過去カコ歴史的レキシテキ環境カンキョウどんなドンナものモノあったアッタかをカヲわれわれワレワレ分析ブンセキ考究コウキュウなくてナクテいけないイケナイそのソノウエはじめてハジメテ民族的ミンゾクテキ本質ホンシツ姿スガタシン闡明センメイられるラレルあってアッテだからダカラこそコソワタシ一定イッテイ環境カンキョウもとモトのみノミあらわれたアラワレタ過去カコ精神セイシン内容ナイヨウただちにタダチニわれわれワレワレ固有コユウものモノ思惟シイするスルのをノヲアヤマってッテいるイルするスルのでノデこれコレついてもツイテモシン科学的カガクテキ心理シンリ考察コウサツヨウするスルカンガえるエルのでノデあるアル
 すでにスデニ一般イッパンられてラレテいるイルとおりトオリ日本ニホン文化ブンカ特質トクシツいつもイツモ具象的グショウテキ直観的チョッカンテキ事物ジブツ考察コウサツにおいてニオイテあらわれアラワレしかもシカモそれソレホカルイないナイほどホド緻密チミツ細微サイビイキ到達トウタツしてシテいるイルのでノデあるアル同一ドウイツ言語ゲンゴ表現ヒョウゲン様式ヨウシキきわめてキワメテ多種類タシュルイわたるワタルわがワガ国語コクゴ特異性トクイセイ日本ニホン文学ブンガクおよびオヨビホカ芸術ゲイジュツにおけるニオケル情趣ジョウシュテキ感覚カンカク一種イッシュ風格フウカクいわゆるイワユルショ芸道ゲイドウ独自的ドクジテキ発達ハッタツごときゴトキことごとくコトゴトクこれコレゾクするスルものモノあるアルところがトコロガこれコレカエ抽象的チュウショウテキ論理的ロンリテキ思考シコウイタってッテそのソノべきベキものモノきわめてキワメテマレあるアルことコトジツオドロばかりバカリあるアルだがダガしかしシカシこのコノコトによってニヨッテただちタダチわがワガ日本ニホン民族ミンゾクかようカヨウ抽象チュウショウテキ論理的ロンリテキ思考シコウ先天的センテンテキ欠如ケツジョしてシテいるイル速断ソクダンしてシテいけないイケナイむしろムシロ多年タネン歴史的レキシテキ環境カンキョウわれわれワレワレしてシテかくカクあらしめたアラシメタカンガえるエルことコトできるデキルからカラあるアル
 ワタシしかしシカシここココ注目チュウモクすべきスベキヒト事実ジジツトラえるエルことコトできるデキルようヨウオモ日本人ニホンジン具象的グショウテキ直観的チョッカンテキ事物ジブツ考察コウサツのみノミオコナってッテいたイタことコトアタえられたエラレタ自然的シゼンテキ環境カンキョウなかナカ満足マンゾクもとめてモトメテいたイタのをノヲ意味イミするスルであるデアルたといタトイそのソノ国土コクド各自カクジ生活セイカツタイしてシテメグまれたマレタものモノあったアッタとしてもトシテモそれソレ以上イジョウオオモトめるメルことコトあえてアエテススまなかったマナカッタタシかにカニそれだけソレダケ楽天的ラクテンテキもしくモシク諦念テイネンテキあったアッタゆえユエないナイあろうアロウ西欧人セイオウジンむしろムシロ陰惨インサン深刻シンコク性情セイジョウもってモッテいるイルのにノニくらべてクラベテ日本人ニホンジンかえってカエッテ安泰アンタイ明朗メイロウであるデアル支那シナにおいてニオイテ仏教ブッキョウイチジルしくシク厭世的エンセイテキ否定的ヒテイテキあるアルのにノニくらべてクラベテさえサエ日本ニホン伝来デンライしてシテタシそのソノ傾向ケイコウウスしてシテいるイルもしモシかようなカヨウナものモノわれわれワレワレ民族的ミンゾクテキ特質トクシツあるアルするスルならナラそれソレややもヤヤモすればスレバわれわれワレワレ偸安トウアンテキミチビものモノとしてトシテオオいにイニイマシねばネバならナラないナイオモわれるワレル
 しかしシカシこれコレとてもトテモ穏和オンワウツクしいシイ風土フウドメグまれたマレタとともにトトモニ従来ジュウライ日本ニホン国際的コクサイテキ孤立コリツ環境カンキョウかれカレ外敵ガイテキウレえるエルことコトほとんどホトンドヨウなかったナカッタようヨウ多年タネン歴史レキシ国民コクミンかようカヨウ習性シュウセイ形作カタチヅクイタらしめたラシメタことコトおそらくオソラクタダしいシイのでノデあってアッテタン抽象的チュウショウテキこのコノ歴史的レキシテキ地理的チリテキ環境カンキョウからカラハナしてシテ民族性ミンゾクセイカンガえるエルことコト人間ニンゲン心理シンリ発展ハッテン過程カテイ無視ムシしたシタものモノあろうアロウ
 ともかくトモカクこのコノようヨウしてシテ東洋トウヨウ学術ガクジュツほとんどホトンド具象的グショウテキ直観的チョッカンテキ思考シコウウエってッテいるイル自然シゼン科学的カガクテキものモノとしてトシテわずかワズカ暦学レキガク漢方カンポウ医学イガク本草ホンゾウガクごときゴトキあるアルぎないがギナイガそれらソレラまったくマッタク直観的チョッカンテキ経験ケイケンウエのみノミ形作カタチヅクられラレ一歩イッポ抽象的チュウショウテキススなかったナカッタむしろムシロ顕著ケンチョカンテイしてシテいるイルオオ実用的ジツヨウテキショ技術ギジュツまたマタ同様ドウヨウあったアッタのもノモ注目チュウモクされねばサレネバならナラないナイ
 ところがトコロガこのコノアイダあってアッテひとりヒトリ数学スウガクはなはだハナハダ抽象的チュウショウテキススんだンダ一見イッケン奇異キイカンあるアルすなわちスナワチ和算ワザンショウられるラレルものモノ最初サイショ支那シナ算法サンポウからカラ発展ハッテンしたシタものモノあるアル十七ジュウナナ世紀セイキ以後イゴオオいにイニスス関孝和セキタカカズ一六四二センロッピャクヨンジュウニネンカラ一七〇八センナナヒャクハチネンイタってッテ筆算ヒッサンシキ代数学ダイスウガク創案ソウアンはじめハジメとしトシ方程式ホウテイシキロン行列ギョウレツシキロン無限ムゲン級数キュウスウ極大キョクダイ極小キョクショウ問題モンダイ整数セイスウロン三角サンカクジュツナドカンするスル高等コウトウ数学スウガクとりあつかいトリアツカイそのソノイチジルしいシイ発達ハッタツ実現ジツゲンせしめたセシメタことコトジツオドロくにクニりるリル爾後ジゴ明治メイジ初年ショネンイタまでマデオオ和算家ワサンカ輩出ハイシュツしたシタこのコノ一事イチジ日本人ニホンジンにおいてニオイテまたマタ抽象的チュウショウテキ論理的ロンリテキ能力ノウリョクケッしてシテけてケテいるイルものモノないナイことコトシメヒト実証ジッショウとしてトシテわれわれワレワレオオいにイニツヨするスルりるリルものモノであるデアルだがダガしかもシカモそれソレ一般イッパンいえばイエバかえってカエッテあまりにアマリニ抽象的チュウショウテキぎるギルものでモノデあったアッタつまりツマリこれらコレラ和算家ワサンカとりあつかったトリアツカッタ問題モンダイすべてスベテそれソレ自身ジシン知能的チノウテキ技術ギジュツ誇示コジするスルものモノしかシカなかったナカッタそれソレあたかもアタカモ将棋ショウギようヨウ知能チノウテキ遊戯ユウギ同等ドウトウカンさえサエあるアルしかもシカモ当時トウジ封建的ホウケンテキ社会シャカイあってアッテこれらコレラ知識チシキいたずらイタズラ秘伝ヒデンとしてトシテ隔絶カクゼツせらセラ一般的イッパンテキ普及フキュウ機会キカイウシナともにトモニこのコノ抽象的チュウショウテキ思考シコウホカ具体的グタイテキ事物ジブツウエ利用リヨウするスルことコトまったくマッタクオコナわれワレなかったナカッタ
 セキ孝和タカカズニュートンニュートン一六四二センロッピャクヨンジュウニネンカラ一七二七センナナヒャクニジュウナナネン同年ドウネンウマれてレテいるイルことコト歴史的レキシテキオオいにイニわれわれワレワレ興味キョウミひくヒクところトコロあるアルニュートンニュートン万有バンユウ引力インリョク問題モンダイためタメ微積分ビセキブンガク発明ハツメイしたシタのにノニカエしてシテセキ孝和タカカズ純粋ジュンスイ抽象的チュウショウテキ種々シュジュ数学的スウガクテキ関係カンケイミチビしたシタテンおいてオイテたといタトイ数学スウガクジョウ功績コウセキカンしてシテオオナドロンないナイしてもシテモそれソレ一般イッパン学術的ガクジュツテキ効果コウカタイするスル重大ジュウダイ差別サベツショウじたジタのでノデあったアッタこれコレについてニツイテ既述キジュツごとくゴトク社会的シャカイテキ環境カンキョウオオいにイニ作用サヨウしてシテいるイルもちろんモチロンあるがアルガともかくトモカクニュートンニュートン以後イゴ西洋セイヨウにおいてニオイテあれアレほどホドすばらしくスバラシク自然シゼン科学カガク発達ハッタツきたったキタッタ事実ジジツわがワガクニにおいてニオイテそれソレ微細ビサイ萌芽ホウガさえサエられラレなかったナカッタことコト対比タイヒしてシテわれわれワレワレいまさらイマサラ両者リョウシャイチジル相違ソウイオドロないナイわけワケゆかユカないナイであろデアロ
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■ 原書情報(青空文庫) 図書カード:No.55750 (新字新仮名) https://www.aozora.gr.jp/cards/001429/card55750.html https://www.aozora.gr.jp/cards/001429/files/55750_59491.html
★★★ 各小説投稿サイトへのリンク集(各投稿サイトでも公開しています) ★★★
Q:青空文庫って、何ですか?
A:1997年に始まったボランティア活動で、誰にでもアクセスできる自由な電子本を、共有可能なものとして図書館のようにインターネット上に集めようとしております。現在は、日本国内で著作権保護期間の満了した作品を中心に、ボランティアのみなさんの力によって電子化作業を進めています。青空文庫はそういった電子化活動のための、またその成果物をアーカイヴしておくための場でもあり、そこからコピーされた本の集成や活用事例もまた〈青空文庫〉と呼ばれることがあります。
Q: What is Aozora Bunko?
A: The volunteer activities, which began in 1997, the free e-book that can be accessed by anyone in, we are going to gather on the Internet like a library as a thing that can be shared. Currently, we are proceeding with digitization work with the help of volunteers, focusing on works whose copyright protection period has expired in Japan. Aozora Bunko is a place for such digitization activities and for archiving the deliverables, and the collection and use cases of books copied from it are also sometimes called “Aozora Bunko”.
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